【藤井聡】「介護問題」を解決するために、今、何が切実に求められているのか?

FROM 藤井聡@内閣官房参与(京都大学大学院教授)

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当方、かつてスウェーデンに住んでいた事があるのですが、その経験から言って、スウェーデンの福祉は本当に行き届いています。

ですが、その「福祉の充実」は、「医療介護の過剰サービスを徹底的に排除することではじめて実現できている」という実態を知る日本人は少ないのではないかと思います。

例えば、病院は完全予約制。よほどの事がなければ、病院で診てくれることはありません。「公民館でお茶のみ話をしに行くような感覚で病院に行く」――なんて時折日本で見られる様なケースは皆無です。

妊婦ですら、医療機関が要請するのは「自己管理」。病院に頻繁に通うということはまずありません(ちなみに我が家は、スウェーデン滞在中に出産を経験しましたが、担当のお医者さんには、2~4カ月に一回くらいしか診てもらえませんでした。後は文字通り、自己管理をするように、という指導が基本だったのです)。

そして「介護」においても、そういう姿勢が貫かれています。

そもそも、スウェーデンは寝たきり老人がほとんどいない、「寝たきりゼロ社会」とのこと。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45510?page=3

その理由は以下の二つ。

第一に、寝たきりにならないように、徹底的に「訓練」をするように指導するのだそうです。要するに、(施設ではなく自宅での介護を基本とした)「自助」を重視するわけです。

そして第二に、寝たきりになる様な手術(例えば、新しい人工的な口を胃に直接つける『胃ろう』手術等)が徹底的に忌避されるそうです。そういう単なる延命のための手術は、

  「虐待」

と見なされるとのこと。結果、多くの人々が「寝たきり」になる前に、自然なかたちで死期を迎えるのです。

確かに、筆者も非常に近しい者が無くなった時――今から20年以上前――かなりの延命治療が病院で施されたのですが、その当の本人が本当に辛い時間を過ごしていた様子が、今でも脳裏に焼き付いています。

たくさんの管でつながれ、苦しみで埋め尽くされた終末期の生において、人間にとって何よりも大切な「人間の尊厳」は守られているのか―――それに思いを致せば、スウェーデンの方々が、それを「虐待」と見なすという感覚は、少なくとも当方としては個人的にとても納得のいく話のように思えます――。

この様に、スウェーデンには「寝たきり老人がいない」という日本からいえば夢のような状況が実現できているのは、徹底的に「過剰サービス」を排除しているからであり、かつ、国民が皆、そうした(医療における「過剰な公助」の回避と「自助の重視」という)方針を当たり前のこととして受け入れているからなのです。

逆に言うなら、「充実した医療」を徹底するには、国民側が「過剰サービス」を要求しないことが必要なのです。

そうでなければ、150万人から200万人の寝たきり老人を抱えた今の日本の様に、需給バランスが完全にくずれ、かえって介護水準が低下してしまうのです。

実際、スウェーデンの介護士のヨハンソンさんは次の様に語っています。

「スウェーデンでも’80年代までは無理な延命治療が行われていましたが、徐々に死に方に対する国民の意識が変わってきたのです。長期間の延命治療は本人、家族、社会にとってムダな負担を強いるだけだと気付いたのです。日本のような先進国で、いまだに無理な延命が行われているとは正直、驚きました」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45510?page=4

確かに今、日本の介護現場は「極限状況」をはるかに超えた、すさまじい状況に到達しています。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50297

そうである以上、今やもう我々もまた、「過剰サービスの回避」というスウェーデンの姿勢に学ぶべき時に至っているに違いありません。

そもそもこれから超高齢化社会が訪れようとしている中で、安倍内閣が掲げた「介護離職者ゼロ」の目標の実現を目指すのなら、「過剰サービスの回避」以外に現実的な道は残されていないように思えます。

そしてそのためにはもちろん、何が「過剰」なのかについての国民的コンセンサスが不可欠です。

だからこそ私たちは今、誰もが迎える終末期における「人間の尊厳」とは一体何かを考えねばなりません。

そしてそれと同時に、日本では今、身近な者の死を「当たり前」の事柄の一つのこととして受け止める力が、何よりも求められているのだと―――思います。

—発行者より—

【オススメ】

★★★★★:眞鍋千之様のレビュー
「今月号に限らず、大学時代に習いたかったことばかり…」

54年前に経済を勉強しに大学に入って、
手応えのある講義はただの一度もなかった。

ケインズの経済学を基にして研究する現実から
離れた理論上の学問でしかなかったのだ・・・。
ただの自己満足の論理的趣味の世界でしかなかったのだ・・・。

月刊三橋で経済は経世済民だと知ったのだ。
そりゃそうだろう、経済学のための経済で
あるはずがないのだ。学生時代に聞きたかったが、
まだ生きている中に知ったのだから幸せ者だ。

世の中、世界の見方が完全に変わった。

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